今や全国区で知られる「くすみ書房」は、2012年で創業66年。琴似での63年間はまさに山あり谷あり。
「谷」から「くすみ書房」が抜け出すきっかけとなったのは、一冊の本との出合い、そしてそれにヒントを得た久住社長のアイデアでした。
「くすみ書房」を救った一冊
皆さんは本を読んでいますか。たくさんの本を幅広く読んでいる方には余裕を感じますし、深さ、奥行きがあるように感じます。私はそういう方を「人間力が高い人」「総合力が高い人」と言っています。本を読むと知識だけではなく知恵が身に付き、さらに友情、勇気、正義といった他ではなかなか学べないスキルも身に付いてきます。一冊読むごとにどんどん魅力的な人間になっていけるわけですから、こんな素晴らしいことはありません。さらに私は「本にはすべての答がある」と信じています。そのことを、「くすみ書房」の体験をお話ししてご理解いただきたいと思います。
「くすみ書房」は、ある一冊の本に救われました。地下鉄東西線延長をきっかけに2000年頃から売上が落ち続け、ついに2003年に閉店を決断しました。しかし私は最後の最後まで店を救ってくれるヒントを捜し、本を読みあさっていました。そんなとき、『あなたの会社が90日で儲かる』という少し怪しげな本に出合いました。この本には「時代が変わって、今までの常識はもう通用しない。これからは今まで非常識と言われていた中にこそ成功のヒントがある」ということが書かれていました。私は、その本に何度も出てくる「人を集める」という言葉に惹き付けられていきました。なぜなら、それまで何とか売上を伸ばす努力は続けてきましたが、「人を集める」ということはやったことがなかったのです。まだやることはあると、小さな希望の光が胸に灯った感じがしました。
私は広告代理店をやっている友人を訪ね、「人を集めるにはどうしたらいい?」と相談すると、友人は即座に「マスコミを動かすこと」「経営者を売り込むこと」の2点を教えてくれました。「マスコミを動かすとは?」と聞くと、新聞やテレビに記事やニュースとして取り上げてもらえることをやればいい。それを見てお客さんはびっくりするくらい来てくれる。そのためには「誰もやらない、珍しく、面白いこと」をやればいいと言います。何かアイデアはないかと聞かれたので、「いつか儲かったらやりたい」と考えていた「無印本フェア」の話をしました。
「無印本」とは、売れ筋ランク外の本のこと。たとえば新潮文庫は2300冊ほど流通しており、上位1500位までの本は書名の横にランク名が付けられ、印の無い本が約800冊あるわけです。その中には名作もたくさんありました。これを集めてフェアをやったら面白いだろうと思っていたわけです。そのことを伝えると「面白い」と言います。「面白いけど売れないよ」と言うと、「売れなくてもいいんでしょう。これは新聞に載るよ。でもわかりづらいから『売れない本フェア』にしなさい」と言ってくれました。翌日、「なぜだ、売れない文庫フェア」と手書きでチラシを作り、それを新聞社に送りました。それを見た新聞社から連絡が入り、道新、毎日、朝日、読売、すべての新聞社で取材してくれることになりました。
「売れない文庫」が売り切れに
2003年10月27日、フェア当日の朝刊に大きく写真付きでフェアのことが掲載されました。店に行くと、新聞を見た方から問合せの電話が次々にかかってきており、シャッターを開けるとお客様がどんどん入ってきて、昼には店内がびっしりになりました。そこにテレビの取材が入って夕方のニュースで流れ、それを見たと言って道内各地からまた電話が入ります。翌日からすべての新聞、テレビで毎日のように取り上げられ、大変な騒ぎになっていきました。そして最初に用意した"売れない文庫"は1カ月も経たないうちに全部売り切れました。そこで期間を延長し、翌年2月にはやっぱり売れない中公文庫をほぼ全点加えました。その頃から東京で、「札幌で変なことをして売りまくっている本屋がある」と話題になっていきました。
ある日、岩波書店の営業マンがやってきました。格式のある老舗出版社で、飛び込み営業する出版社ではないので驚きました。「うちの文庫が一番売れないのです。だからやってください」「そうですか、売れないのですか。それではやりましょう」。ちょっと変わった商談が成立しました。岩波文庫約1400冊を加えて、2004年5月に第三次「売れない文庫フェア」をスタートしました。
その当時、岩波文庫を全点置いていたのは、道内ではただ一軒、旭屋書店だけでした。旭屋書店の売り場面積は約800坪。うちの店の本売り場は80坪しかありませんので工夫が必要でした。そこで考えついたのは「朗読」でした。それを道新の記者に「記事になりますか?全国、どこの本屋でもやっていません。うちが初めてです」と相談すると、「それなら取材します。そのかわり久住さんが朗読してください」と言われました。そこで練習をし、2004年5月11日に漱石の『坊ちゃん』の第一章を夕方5時から20分、店内で朗読しました。その日から毎日読み続けていったのですが、初日に取材を受け、新聞に大きく載ると、たくさんのお客様が聴きにきてくれました。また「私も朗読したい」という方が次々に現れ、翌6月には朗読希望者でカレンダーが全部埋まりました。けっきょく琴似店を閉める2009年9月まで、日曜・祭日以外ほとんど毎日、店内で朗読の声が鳴り響き、おかげで岩波文庫が売れ続けました。さらに朗読は「くすみ書房」の代名詞のようになり、何度も各メディアの取材を受け、その都度たくさんのお客様が来店してくれて、売上もだいぶ回復しました。しかしそれでもまだ、店を継続するには足りませんでした。
書店に中学生がいない!
夕方になるとガラガラになる店内を見渡して、私はふと中学生がいないことに気づきました。「昔はずいぶん学生でにぎわっていたのに、なぜだろう」と考えました。雑誌、コミック、参考書はあるのですが、小説などの読み物がありません。大型店に行っても中学生向けの読み物は一般書の中に埋もれていて、これでは本の苦手な中学生には捜せません。そこで中学生向けの本棚を作って「本屋に来ないか?」と呼びかけようと考え、企画に賛同してくれた札幌の27の書店で、秋の読書週間にフェアをやりました。名付けて「本屋のおやじのおせっかい。中学生はこれを読め!」。大反響となり、翌年には全道に、そして静岡、愛知、岐阜、三重、石川と全国にも拡がっていきました。
2005年には琴似店の地下に古本とコーヒーを楽しむブックカフェをオープンしました。そこで作家や大学の先生の講演会などを行い、人を集めたかったのです。この一連の取り組みも書店では初めてでした。おかげで売上は回復し、店も継続でき、気がつくと全国でももっとも有名な本屋と言われるようになっていました。それはすべて一冊の本との出会いのおかげです。
本にはすべての答があります。
皆様方にも素晴らしい本との出会いがありますよう願っております。
──さて、これでめでたしめでたしになればいいのですが、世の中そんなに甘くはありません。その後、近くに450坪の大型店ができ、その半年後、また近くに日本で一番大きな書店ができて、それまで伸びていた売上があっという間に吹き飛んでしまいました。ああ、またやり直しかとため息をついていた時、「大谷地に出店しませんか」との電話が入りました。見に行くと、地下鉄直結のショッピングセンターで、多くの人の流れがあります。出店ではなく移転ならなんとかなりそうと考え、63年間続いた琴似店を閉めて、2009年9月に大谷地に移転しました。閉店、移転を新聞、テレビで何度も報道してくれたおかげで、大谷地店の客数は3倍、売上は2.5倍になりました。ただ、経費と在庫が増えたため、経営は逆に苦しくなりました。そこで、さらに集客のための新たな取り組みが必要でした。
2010年、「高校生はこれを読め!」実施。2011年、「小学生はこれを読め!」実施。そして2012年、今年は「大学生はこれを読め!」を実施中です。これは札幌市立大学の学生さんとの共同企画でスタートし、現在、北海道大学と北星大学の3グループが選書中、北海学園大学、藤大学も今後参加の予定です。
これからも人が集まってくれるように、誰もやらない面白いことに取り組んでいきたいと考えております。
●くすみ書房
札幌市厚別区大谷地東3-3-20 CAPO大谷地
TEL/011-890-0008
10:00〜22:00(年中無休)
●古本と珈琲のBookCafe・ギャラリー
「ソクラテスのカフェ」
札幌市西区琴似2条7丁目 メシアニカビルB1
TEL/011-611-7121
11:00〜18:00(土日祝13:00〜/毎週金曜とイベントのある土曜休)
●三角山放送局「読書でラララ」
木曜13:30〜14:45
(FM76.2Mhz)

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久住邦晴
くすみ書房代表取締役。「なぜだ!?売れない文庫フェア」を皮切りに様々なアイデアで本を提案し書店を盛り上げてきました。
平成24年5月より読者に直接本をおすすめする「友の会」をスタート。又、道新販売店と組んで絵本の宅配も行っている。
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